嶋田和子著『精神医療につながれる子どもたち』について(私信から) | キーサン日記

嶋田和子著『精神医療につながれる子どもたち』について(私信から)



(前略)



 それはそうと、非常に的確な、内容の濃い感想を書いてくださり、とても感謝しています。さっそく印刷して、えばっちにも読んでもらおうと想っています。なかなかこれだけの分量の筋の通った感想は書こうと思っても書けるものではありません。
 私も、嶋田和子氏の著作を読んでいろいろ想うところがあったので、真剣に感想を書いてくださり、とても嬉しいです。

 全体として、Mさんの書かれたご感想は、全くその通りであり、また非常に本質を突いており、私も非常に同感です。ジャーナリストとしての基本的な倫理観はもちろんのこと、「発達障害」概念への疑問、そして、いま現在入院させられている30万人以上の患者達の現実を意図的に無視していること、などへの批判は全くそのとおりであり、とりわけ「精神医療」の実態を告発するのなら、上の三点目である、何十年も家族・親族から捨てられて閉鎖病棟に入院させられている病者の現実、死ぬまででられないであろう何十万人もの患者の想いを書かなければ、(そしておそらく意図的にそれを書かなかった嶋田氏は)この著作全体がどのような立場・視点から書かれているのかという疑問は大きく残ります。実際、前進友の会をはじめ、患者会には一切コンタクトを取らずに最初から最後まで取材活動をしたわけですから、意図的にその視点を抜いて出版したと言うことです。

 どんなえらそうなことを著作で書いていても、その視点抜きでは、現実の精神医療の実態を告発する資格はありません。私自身は個人的にそのことに非常に強い憤りを覚えています。
 まさに、Mさんが遠慮がちに書いているように、「昔の被害者はもう仕方がない(死ぬのを待つしかない)・・・・・・」という冷酷な感情をもって、この著作を仕上げたのだと言っても過言ではないでしょう。(嶋田氏は早期介入の会の副代表であり、ずっと、患者会や集会の件で我々と関わってきたので、一層その想いが強いです)

 実は、Mさんの感想をプリントアウトして、五月一九日の東京の集会で一番いい話をしてくれた久郷さんに読んでもらいました。久郷さんも全く同感だと言っていました。まさしく、Mさんの書かれた感想は、われわれ患者会で生活している普通の病者の想いに一致しているのです。

 そのうえで、Mさんの感想のなかには、私が持ち得なかった視点もふくまれていました。それは、「発達障害者」の薬剤過敏性への疑問と、嶋田氏の実は明確な「専門家」的発想への指摘です。
 この二つは実は、どちらも重要な指摘だと考えます。

 以下、この点を踏まえながら、Mさんの感想に対する私の感想を逐次的に書いていきたいと想います。



 まず、最初の段落についてですが、全くMさんの感想の通りだと想います。
ただ、私としては、この著作の意義について次のように考えています。それは、子供達が精神医療に早期介入される危険性を一般の「市民」に『啓蒙』する著作としては、非常に良くできているということです。ですから、この著作は「一般市民」が読む意義は非常にあると考えています。
 ただ、私自身は、「一般市民」を『啓蒙』するということについては、非常に嫌悪感を感じます。嶋田氏のこれからの活動はライター兼『啓蒙』活動家として「偉く」なっていくのかもしれませんが、そのことについては私個人は嫌悪感しか感じません。
 全体情況のなかで、この著作の位置づけを考えるなら、やはり「読まれるべきである」という評価をするべきでしょう。
 以上のことを踏まえたうえであれば、Mさんの感想と全く同感です。特に、私が前からこだわっている取材したケースを当事者・本人が特定されないようにどのように書いたのか、(親・家族ではなく)当事者本人の了解はどうなっているのかという最も基本的な倫理的な問題は、嶋田氏はこれから永遠に問われ続けなければならないでしょう。


 次の段落に進みます。この点に関しては、嶋田氏の著作は笠さんの言動に負っていることが多いことが原因だと想います。全体として、客観的な事実として、この著作から笠さんの引用を全く無くしてしまえば、内容は全くのスカスカになってしまいます。そればかりでなく、嶋田氏は笠さんの言動のいいとこ取りをしていて、いま現在の笠さんの言動と、この著作に引用されている笠さんの言葉は、実はかなり違っています。笠さんもこの10年近くのあいだに言動の大きな変化があったのです。
 ところで、最近の笠さんは、全ての患者が発達障害であり真の意味での精神病は存在しない、と明言しています。(私自身が笠さん本人から電話でそのように聞きました)ですから、社会生活上のほぼ全ての「障害」が発達障害に由来することになってしまうのです。
 もちろん「発達障害」の中核的な「特性」としての「感覚過敏」や「人間関係の構築の困難さ」などは私も否定はしませんが、「不登校」「引きこもり」「不適応」の全てが「発達障害」に帰せられるとしたら、それはまさに「専門家」の独断そのものでしょう。それはまさに笠さんの独断であり、その視点をベースに書いている嶋田和子氏の独断です。
 実際、Mさんの感想に書かれているとおり、このような視点を広めることは、真の「発達障害者」への偏見を広めることになります。それは、少し考えれば誰でも分かることです。ありとあらゆるネガティブなことが全て「発達障害」に由来するとなれば、「発達障害」とラベリングされた人間はどのような差別と偏見にさらされるでしょうか?ですから、我々は「発達障害」という診断名はそれによって救われる人間が本人の意向により選ぶべき診断名だと言っているのです。それは、精神病の診断名も同じです。
 そして、Mさんが書いておられるように、現実にはいろんな「障害」「不適応」を起こしている人たちのなかには、実際には社会的な困難を経験してきた人たちや心因をもっている人たちが多いのは事実です。むしろ、この視点を失っては非常にヤバイことになるでしょう。精神病は「内因性」・「発達障害」は「外因性」でありどうすることもできないので、「精神医療」の現場では、投薬・拘束・入院・ES・CBT(認知行動療法)等の対象になりますが、それを行うのは、我々が批判してきた「国家資格」を持った「専門家」の介入のもとで、となります。いま、心理士が国家資格を得ようと躍起になっていますが、本当に恐ろしいことです。
 ですから、我々は、精神病の拡大と同じように「発達障害」の拡大も止めなければならないと本気で考えています。


 次の段落に行きます。ここにおいて、Mさんは非常に重要な指摘を行っています。
 それは、「発達障害者」は本当に薬剤過敏性を持っているのかという指摘です。実は、この点については我々は疑問を感じずに来ました。そうは言っても、笠さんがそういうのならそうかもしれないな、と漠然と考えていたからです。しかし、これは重要な問題です。薬剤過敏性を持っているというだけで、「発達障害」の傾向が強いと「診断」されてしまうからです。また、逆に薬剤過敏性が少ない人は、精神病の傾向が強いと「診断」されかねません。我々はそのどちらにも反対しなければなりません。診断や病名が必要なのは、本人の人生にとってどれだけの利益をもたらすかであって、それを決めるのは「専門家」ではありません。本人自身の納得と意向です。「専門家」ができるのは、せいぜいその決断にある程度のお墨付きを与え援助をするぐらいです。特に、「精神医療」のこの地獄のような現場では、どのような「専門家」の独断的な「診断」も害を与えるだけです。
 それは、笠さんの「発達障害」という「診断」も例外ではありません。
 そして、そのことを無批判に当然のこととして(笠さんの受け売りを)書いている嶋田和子氏も、独断の罪を背負っています。
 よく考えてみると、私自身が、非常に薬剤過敏性が極端に強い患者でした。抗精神病薬を少し飲んだだけで、すぐ閉尿になりました。閉尿を治療するために、精神病院とは別に内科の病院に10日間入院せざるを得ませんでした。導尿も何回も経験しました。抗鬱薬もほとんど副作用に苦しめられ飲めませんでした。今の処方に落ち着くまで何年間もかかりました。
 私のように、精神病であろうと、「発達障害」であろうと、何であろうと薬剤過敏性の強い患者は一定数います。また、その反対の患者もいます。患者会で生活していれば分かります。嶋田氏は「発達障害の人には薬剤に過敏な反応を示す人が多い」と書いていますが、それは「発達障害でない人」にも当てはまります。
 また、Mさんが分析しているように、若い人の方が薬剤過敏性を強く示す傾向があるのかもしれません。それを、「発達障害の人には薬剤に過敏な反応を示す人が多い」と勝手な解釈で誤解しているのかもしれません。
 以上が、この段落で考えたことです。


 次の段落です。この段落の内容は概ねその通りですが、一部違う見解を持っているところがあります。それは「僕が統合失調症と非統合失調症の区別にこだわるのは、やはり、生涯服薬か、そうでないかの分岐点に病名が関わり、そこに精神科医の大きな責任があるからです」(笠医師)の部分です。
 ここに関しては、たくさんの点において違和感を感じています。
 まず、第一に、この笠さんからの引用は、現在の笠さんの発言からの引用ではありません。数年前は確かにこのような発言を笠さんはしていたと想います。しかし、いまの笠さんは全てが「発達障害」だと言い、統合失調症(精神分裂病)の存在を認めていません。私自身が笠さんからそう聞きました。だから、嶋田和子氏は笠さんの発言の使えるところをいいとこ取りしているのです。まずはこの点に関する違和感です。
 そして第二のより本質的な違和感として、ここにもまさに「専門家」としての独断が現れていることです。そして、これもまた、病名への拘りであり嶋田氏も当然のように引用しています。
 そもそも「統合失調症」と診断されたら「生涯服薬」しなければならないのか?そもそも減薬・断薬をあれほど進めている嶋田和子氏が、ホンモノの「統失」なら断薬を諦めたらいいと考えているのか?それはまさに差別ではないのか??そもそも、減薬・断薬にしても、実際には「病名」など全く関係なく、少数の上手くいく患者と多数の上手くいかない患者がいます。上手くいくかどうかはやってみなければ分かりませんが、上手くいかない場合はいろんな要因があり得ます。家庭の経済力・家庭環境(サポートしてくれる親がいるか)、ストレス情況、まわりの人間関係、クスリをどれだけの期間・どれだけの種類・どれだけの量飲まされてきたか、入院の経験など、まだまだいろいろな条件がありますが、これら全てが恵まれていればいるほど、減薬は上手くいく傾向があります。逆の場合ならば上手くいかない傾向があります。そして、上手くいかない場合が大多数です。
 当たり前ですが、どんなに小さな子供であろうと、減薬・断薬は真の意味で当事者主体であるべきです。それはまさに本人の意向が最大限に尊重されるべきだと言うことです。
 それにもかかわらず、(今の笠さんもそうですが)嶋田和子氏は異様に減薬・断薬に拘っていますが、その嶋田氏が、ホンモノの「統失」なら断薬を諦めた方がいいが、そうでないならば、できるだけ減薬・断薬をした方が良いと主張するのであれば、それもまずは家族と「専門家」の意向にそってそう主張するのであれば、嶋田氏はまさしく我々病者にとっては差別者です。
 その彼女の差別性を端的に表現しているのが、先ほどの
「僕が統合失調症と非統合失調症の区別にこだわるのは、やはり、生涯服薬か、そうでないかの分岐点に病名が関わり、そこに精神科医の大きな責任があるからです」(笠医師)
という言葉の肯定的な引用です。
 そして、言うまでもなく、このような精神構造であれば、<「発達障害」は「統合失調症」よりマシだ>、<私はあの人よりマシだ>という内部差別を助長することになるでしょう。この点に関しては、全くMさんと意見が一致します。
 そして、笠さんの意図がどうあろうとも、嶋田氏の意図がどうあろうとも(一応「発達障害」の過剰診断について触れてはいますが)、「発達障害」概念がこれ以上拡大することは、新たな「病」者をつくり、被害者を増やすことにつながっていくでしょう。これもMさんの書いておられるとおりです。


 次の段落に行きます。
 この部分はもう何をか況わんやで、Mさんの書いているように<「健常者に限りなく近づく」べきといった発想は、「病者」の否定につながる思想です。この人は結局のところ、当事者よりも家族や「専門家」にかなり影響されており、ジャーナリストというより「専門家」的発想に陥っている(毒されている)と思いました。>の通りです。
 なぜなら、最も悲惨な当事者本人を意思疎通するようには取材せず、シビアな事例については、その家族にばかり取材をし、また、笠さんを初め「良心的」医療従事者にばかり意見を求め、最も悲惨な事例を当事者として知っている我々患者会には一切接触せずに書いてしまったのだから当然です。
 嶋田氏には、我々が何十年も前から(笠さんとも一緒に言い続けてきた)反社会復帰の思想はさっぱり分からないでしょう。
 情けないし、呆れます。


 いよいよ最後の段落ですね。
 ここで、Mさんが書いていることは、全く完全に同感です。
 結局、嶋田和子氏は、一番知らなければならなかった、本当の悲惨な精神病院の閉鎖病棟の現実を、保護室の現実を、看護士の暴力の現実を、四肢拘束の現実を、ESの現実を全く知らずに、いや知ろうともせずに、この著作を出してしまったということです。それは決して薬害の問題だけでもない、もっと本質的な精神医療の闇の部分です。
 そのことは、嶋田氏自身が自覚しているはずです。

 はっきり言って、あの笠さんが、この程度の本を「いまの精神医療の現実をひっくり返すことができる」と宣伝しているというのが可笑しいです。
 まさにMさんの書かれた<これまでの歴史的総括抜きに、精神医療や福祉が「良くなる」ことなどあり得ないでしょう>という言葉が正しい現実を物語っています。


 いままで、ながながと、Mさんの書かれた感想・批評文に対する私の感想を書いてきました。
 これを、えばっちにもCCで送っておこうと想います。

 また、上に書いた私の文章のみを私のブログ「キーサン日記」に掲載することをお許しください。もちろん、Mさんのお名前は匿名にします。


 本当に、寒さが厳しくなってきました。私も、風邪が完全に治っていないので、早くなおしたいです。
 Mさんも、風邪をひかないように気をつけてください。風邪もインフルエンザもはやっているようですから。
 どうぞ、お身体に気をつけて。意見などありましたら、またメールなど下さいね。

 よろしくお願いします。 
 


   皿澤 剛