生活保護の削減と精神病者の危うい生命について | キーサン日記

生活保護の削減と精神病者の危うい生命について

 私は一人の精神病者だ。長年うつ病を患っている。入院経験もある。そして、今は生活保護を取得し、故郷を離れ患者会のなかまと共に、なんとか自立して地域で一人暮らしを続けている。

 この8月から、生活保護の額が減らされた。私の場合は月に1520円だ。さらに来年の4月、再来年の4月にもほぼ同額が減らされるという。私は、料理ができない。部屋ではほとんど万年床に寝たきりでシンドクてできないのだ。しかし、外食もできない。毎食外食できるようなお金は無い。それで、1日2食に切りつめて、ご飯だけは炊飯器で炊いて、あとはインスタントのみそ汁・生卵・納豆・トマトなどをおかずにして飢えを凌いできた。それでも月末になると、お金が足りなくなって1日1食に切りつめることもあった。そのような状況のなかで、生活保護の額が減らされるのだ。私にとって、この1520円は2食~3食に相当し、大変痛い。

 そのような状況は、なにも私一人の状況ではない。身近なところで言えば、私が属している患者会・前進友の会で生活保護を取っている大勢のなかまの現実でもあるのだ。
 非常に深刻な情況だ。精神病者として、地域でなんとか自立して生活を成り立たそうと努力しても、生活費の直接の削減は、自立生活を切り崩してしまうかもしれない。それは、われわれ精神病者にとっては、(餓死するにせよ、自殺するにせよ)死ぬことか、そうでなければ、精神病院への入院を意味するのだ。非常に切実な問題だ。

 それで、この問題は、われわれの生存の問題として、前進友の会全体として、取り組まなければならない問題と考えた。
 そして、われわれのなかまのえばっちは、勇気をもって行政に対して不服申し立てをする決意をした。実際勇気がいるのだ。われわれは行政が本気を出せば、何をしてくるかを経験から知っている。それは法律があり守ってくれるから安心できるというようなものではない。そのことを、骨身にしみて分かっているからこその勇気なのだ。本当に生活の基盤を失うかもしれないのだ。そのことをしっかり理解したうえで、えばっちは行動に立ち上がった。

 このような重大なことを、えばっち一人が孤立して行うことはできない。もちろん、前進友の会が総体として、支援し運動するとしてもそれだけでは不十分である。それで、地元京都で長年地に足をつけて運動してきた、身体・知的障害者の団体とともに運動を行うことにした。不服申し立ても一緒に集団で行うことにした。

 その障害者団体のミーティングに何回か参加したうえで、8月30日に京都府庁において、身体・知的・精神障害者が集団で不服申し立てをする場でえばっちも申し立てをすることに決めた。そして、そこでは、府庁の担当副課長への集団申し入れをすることになっていたのである。えばっちも、生活保護を受給している精神病者の本音を申し入れの場でぶつけようと考えていた。

 8月30日のその日、府庁の大きな一部屋に障害者が30人ほど集まった。私も参加した。身体・知的・精神の障害を持った人たちだが、やはり脳性麻痺の車椅子の方々が多かった。
 申し入れの場では、いろんな方が発言をした。脳性麻痺の方は、言葉をなかなか聞き取れなかったが、必死で想いをぶつけた。視覚障害の方は、厳しい口調で「最低生活ってなんなんや!!説明してみろ!!」と迫っていた。副課長は、はぐらかして正面からは答えなかった。また、うつ病で生活保護で暮らしているという青年が、福祉事務所で受けた仕打ちの生々しい話を語ってくれた。それは福祉課の係長とケースワーカーがその青年を狭い部屋に閉じこめ「何で働こうとせんのや!!何や、カネを取りに来たんか!!」と大声でさんざん罵倒し、彼はうつ病でなにも言えなかったという話だ。そして最後には「こいつ、何か話すまで、外で立たしとけ!!」と罵倒されたという。私はそれを聞いていて、その情景が目に浮かぶようだった。その話に対して副課長は、京都市で起きたことは私は関知できません、と言っていた。

 そのような府庁での申し入れの場でえばっちも名前を名乗り生活保護で生活している精神病者の本音を語ってくれた。
 それは全部で4点ある。

 1点目は、現在の生活保護の額でも「健康で文化的な最低限度の生活」はできていないということである。まず、食生活に関しては、私も前に書いたが、料理もできなければ外食も高くてできないという状況のなかで、とても健康で最低限度の食生活は送れていないということだ。また、お金がなければどこかへ行くこともできず、文化的な最低限度の生活も送れないということだ。そして、それを補うためにわれわれは患者会を作り、みんなでお金を出し合って食事会をし、レクをすることで、ようやく憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を担保しようとしている現実があること。私自身もその恩恵によってなんとか毎日生活できている。

 2点目は、われわれ精神病者の病状の安定は、医者の診察やクスリやカウンセリングで保たれているのでは決してないということ、本当は生活の安定の安心によって保たれるということである。この間の生活保護の減額によって、全国でどれだけの病者の具合が不安により悪くなっているであろうか、その責任はいったい誰が取るのかということ。このことは、われわれ病者にとってあまりに当たり前のことである。私も不安で具合が悪くなっている。

 3点目は、われわれは精神病者ということで地域の中で白い目のなかで暮らしているが、生活保護に対する偏見が非常に強い中で生活保護を受けているということも隠して負い目を感じて毎日生活している現実がある。生活保護に対する世間の偏見をなくすことは、あなたがた行政がやらねばならないことではないのか、ということである。この点も、私自身シビアに毎日直面していることだ。ただでさえ、病状が苦しいのに、生活保護を受けているということによる負い目も、ひどく苦しく、死にたくなる。

 4点目は、実際うつ病の青年が先ほど語ってくれたように「水際作戦」はひどすぎる。私(えばっち)自身も福祉事務所に相談に行ってから受給できるまでに半年かかった。今はもっとひどいだろう。しかし本当は生活保護という制度によって恩恵を受けているのは、あなたがた行政や社会の方だ。生活保護があることで社会の安定は保たれ治安の悪化も防がれている。これ以上生活保護を締め付けるなら社会は必ず不安定化するだろう。補足率が低いことは行政自身が認めている。あなたがた行政がやらなければならないことは、生活保護の減額や締め付けではなく、もっと多くの受けられるべき人たちに生活保護を受ける機会を保証することだ、ということである。私自身も、生活保護の申請には大変苦労した。またえばっちのときは、福祉事務所がなかなか申請を受理せず、最後はわれわれ前進友の会のなかまが大勢一緒に行くことでようやく役所が申請を受理したという経緯がある。私もそのときは一緒に福祉事務所へ行った。

 そうして1時間が過ぎ、えばっちは不服申し立てを申請して、もう疲れて前進友の会に帰った。その後、記者会見もあったようだ。

 そのあと、われわれが危惧していたように、さっそく不服申し立てをした障害者の方にケースワーカーから嫌がらせがあったことが分かった。権利が保障されているといっても、そんなものは建前でしかない。このような嫌がらせはこれからもたくさん起こってくるだろうから、個別対応にまかせず、一緒に闘っている障害者団体の事務局と弁護士の方に、この件に対する対応は全面的に担っていただきたい、と私は想う。それが、本当の意味で一緒にやることだと想うからである。
 しかし、それでも、個人にはいろんな不利益は起こってくるだろう。われわれ前進友の会としては、ミーティングで決めた通り患者会総体としてなかまの不利益を防ぎ、そして生活保護の問題に取り組んでいかなければならないと考えている。これからの障害者団体のミーティングには私も積極的に参加するつもりだ。



 最後に、生活保護に関して一人の精神病者として想うところを述べたいと想う。
 それは、いま現在精神病院に入院している30万人以上の病者のことだ。精神医療などというものは、本当は医療などではない。特に長期入院している病者は、ただ閉じこめられ、隔離され、一生を終えることを期待されている。それは、殺人に等しいことである。私自身が精神病院の中で、そのような人たちをあまりにたくさん見てきた。
 「良心的」と言われている医療従事者やNHKなどのマスコミは「退院支援」と称して、「社会復帰」の名目でいろいろなことをやっていると言われている。もちろん、そのような取り組みで退院できた方も多少はいるだろう。しかし、それはごく少数であり、また、たとえ退院できたとしても、本当の自分の《想い》を押し殺して医療従事者・福祉従事者に従うことによって生きていかざるを得ない。まさに生殺与奪の世界である。
 私は、そんなのはまっぴら御免である。そんなのはまやかしである。退院できる方を本当に退院させるためには、「社会復帰」を目指さない反社会復帰で開き直り、働かない権利を保障することで、医療従事者・福祉従事者の勝手に敷いたレールをぶち壊し、法律を無くして、自由に病者自身の《想い》で退院し、できうれば患者会を作っていくことだ。そして、そのために絶対必要な条件となるのは、まさに生活保護である。逆に、生活保護が保証されなければ、絶対に精神病院から退院できる病者はほとんどいなくなる。こんなことは本当は当たり前なのだが、「退院支援」を賞賛するNHKなどの「良心的マスコミ」は、「退院」の文脈で生活保護を取り上げることは全く無い。


 精神病院に入院している30万人以上の精神病者の、本当に危うい消えかかっている生命は、生活保護の消滅とともに消えるのである。そして、そのときは、私の生命も消えるだろう。

 皿澤 剛
        (2013年9月7日)