「生老病死」ではなく「生『病』老死」又は「生『病』死」の人生(2010年以来の再掲) | キーサン日記

「生老病死」ではなく「生『病』老死」又は「生『病』死」の人生(2010年以来の再掲)

ほんと、最近、しんどいことばかりですわ。

 ただ、生きているだけでもシンドイのに、なんでこうもイロンナことに気をつかって、いかなならんのでしょうか。

 わしら、クスリ飲んで、毎日セーカツして、なんとか生きてゆこうとしてるけど、生きるために皆必死の努力をしてるケド、それではアカン言うんでしょうなあ。努力が足りんと言うんでしょうなあ。

 いくら、難しいリクツを言っても、わしらのゲンジツ変わらんわ。わしも高校しか出てんさけえ、難しいリクツを言われてもワカラン。

 そんなことより、ワシラのゲンジツをよう観たらええやんか。ワシラが少しでもラクになり、ナットクができ、シンドイことが少しでも軽くなれば、それでええやんか。クスリも少なくなればそれにこしたことはないけれど、それで逆にシンドクなりクルシクなるんやったら、減らすのも考えもんや。診断も同じことや。その診断でワシラがナットクできラクになり、クスリも減らせるんやったらそれでええんや。逆に、その診断でワシラがシンドクなり、今までナットクしていたものが壊され、クスリも不安定になってシンドクなるんやったら、どんだけリクツをこねても、それは誤診や。


 まずはワシラのゲンジツをよう観てみいや。



 健常者はええのぉ。人生の四苦のうち、「生」と「老」のあいだに六〇年はあるんやさかいのぉ。そのあいだに好きなことを気力・体力充実して、元気にやれるんやから。


 わしら『病』者は「生」のすぐ後に『病』がきて、「青春」もなにもかも無いわいや。人生これからと想ったら『病』で苦しむんや。妬ましいのぉ、羨ましいのぉ。
 

 そのうえ、『病』のうえに「老い」までかさなるんじゃ。ばあいによったら、「老い」なくそのまま「死」ぬだけじゃ。



 ワシラの人生なんなんや。せめて、医療従事者・福祉従事者・家族は「キレイゴト」ぬかして、ワシラにちょっかいだすんじゃねぇぞ。ましてや、「医療的強制的介入」してきたらブチコロスぞ、おぼえとけ貴様ら。

 

ほんま、ふざけるんじゃねぇぞ、キサマら。