キーサン日記 -15ページ目
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うつでしんどい

 先週からうつの波がやってきて、とてもしんどい。精神的・肉体的な疲れがたまると、うつの波におおわれてしまう。昨日診察を受けたが、うつの底にいるときは何も考えるなと言われた。考えれば考えるほどマイナス思考になってしまう。ときどき、こういう、うつの波におおわれてしまう。何回経験しても慣れることは無い。

 希死念慮も起こっている。しかし、死ぬわけにはいかない。


 

 

 しばらく、何もせずに、何も考えずに休養することが必要だ。休もうと想う。

NPO法人、働かない権利、反社会復帰

 患者会としての「前進友の会」は今年で30年になる。30年前から今の場所の日ノ岡荘で患者会をやってきた。僕がまだ4歳のときからだ。
 

 僕が患者会に入ってから痛感しているのは、やはり、物理的な「場所」が必要だということだ。「場」がなければ、患者会は成り立たない。これは、どこの患者会でも同じようで、皆苦労している。前進友の会も「場」の維持に苦労している。前進友の会が作業所を運営していることも「場所」の維持という意味合いが大きい。《なかま》が集える「場」というものがいかに大切かということを日々実感している。
 そういう現実の中で、「自立支援法」が施行されることになり、行政当局も助成金の抑制に乗り出してきた。具体的には、「作業所」も「法人格」を取らないと助成金を出さないということを突然、昨年になって通告してきた。もう、純粋な「小規模作業所」だけでは助成金を受け取れないということだ。僕たちの作業所は1984年から作業所になっていて、市内では精神の作業所としては4番目に古い作業所として運営してきた。助成金が下りなければ、「場」の維持は非常に困難になる。はっきり言って、「自立支援法」が成立しても、その内容とは直接関係のないことだが、行政は「法人格」が無いともう助成金は出さないと言ってきた。正直、非常にしんどい事態になったのだ。
 それで、なんとか昨年から、「NPO法人」を取ろうと努力してきた。しろうとである病者が「NPO法人」を取るのは並大抵のことではない。書類を自分たちだけでつくり、非常に煩雑な事務仕事を《なかま》の特定の人がやってきた。その方達にとっては、非常に負担になることだった。「病気」を押してやってきた。
 そして、府庁に行くこと5回目でなんとか今月に入って書類を受理してもらえた。なんとか一安心ではあるが、決してこれは良いことではない。「NPO法人」を取ってもなにも良いことはないばかりか、煩雑な事務仕事や形式的なことが増えるだけで、病者にとっては負担は増える一方だ。また、「結社の自由」という意味でもNPO法というのは恐ろしい法律であり、患者会としての前進友の会は反対している。それでも今回「NPO法人」を取るのは「場」をなんとか維持したいためだ。いろんな犠牲を払って、今回の「NPO法人」を取ることになる。

 

 しかし、我々患者会はこの30年間一貫して「働かない権利」「反社会復帰」を言ってきた。僕たち精神病者はまず働けない。働きたいという気持ちを持っている病者もいるが、働けば病状が悪くなり、「再発」「再入院」「自殺」ということになる。実際そういう《なかま》を僕たちはたくさん見てきた。そういう意味ではこれは理屈ではない。「働かない権利」というのは、もう現実の生活から僕たち病者には必要とされているものだ。また、「勤労する」ということが無条件に「良いこと」だということも言えない。「健常者」はえてして病者も「働きたいはずだ」と思いこんでいるようだが、決してそうではない。僕たち病者に必要なのは、まず「病識」であり、自分が病者だという自覚だ。そして、自らの「病気」を受け入れることで、《誇り》が生まれる。そして《なかま》とともに支え合いながら生きてゆくことでその《誇り》は強められる。そして、初めて僕ら病者は自己を解放することができるのだ。それは本当は理屈ではない。僕たち病者の《生き方》だ。そしてそれは、自然に「働かない権利」「反社会復帰」につながっていく。働かなくても、僕らは、しんどいけれども《誇り》を持って病者としての自覚を持って生きてゆけるし、それが僕ら病者の《生きる》原動力になる。そして、「働くことは良いことだ」という「健常」者の欺瞞にあふれた「社会復帰」に反対していくことになる。
 だいたい、僕らは大切な《なかま》を持っているし、お互いの「病気」を認め合って支え合って生活しているのだから、それは立派な《社会》だと言える。もうその《社会》で十分なのだ。「健常」者に理解されなくても、認められなくても、僕ら病者は《誇り》を持って生きていければそれで良いのだ。そして、少しでも長く「長生き」して生き延びていくことが大切なのだ。
 そして、「社会復帰」の欺瞞性は「心神喪失者等医療観察法」によって、より明らかになった。この法律は保安処分そのものだが、その「目的」が「社会復帰」だというのだ。この法律のとんでもなさはたくさんあるが、その全てが「社会復帰」によって正当化されるというのだ。実際には、この法律によって、病者などの対象者は、「社会復帰」を強制され「人格」を矯正されて「社会復帰する」か、その強制「治療」を何年も受けることによって「廃人化」されるか、一生閉じこめられ「殺される」かのどちらかしかないのだ。この法律によって、また新たにこの国に《地獄》が生まれようとしている。

 

 とにかく我々は「医療観察法」にも反対してきたし「社会復帰」にも反対してきた。そして生存の問題として「働かない権利」を叫んできた。それはこれからも少しも変わらない。この悲惨な状況のなかで、僕たちは少しでも長く生き延びなければならないのだ。


 (2006年1月23日)

Nさんの死

 昨年の7月から意識不明の重体だった《なかま》のNさんが1月14日の朝亡くなられた。


 ずっと、岩倉病院に入院していたが、毎年夏レクには参加され、毎週金曜日には食事会に来られていた。それが、昨年の7月のはじめ、病棟で誤嚥のため心肺停止になり、その後ずっと意識不明の重体で市内のH病院に入院していた。

 歳はまだ60前で、映画がとても好きな方だった。


 今日、前進友の会の《なかま》みんなで、岩倉病院の霊安室に安置してあるご遺体に会いに行った。ようやく楽になれたかのような静かなお顔だった。この半年はNさんにとってはつらい日々だっただろうと想う。僕たちは、もう少し長生きして欲しかった。

 お棺のなかに、Nさんが好きだった映画のパンフレットや哲学書を入れて差し上げた。みんな焼香をしてNさんの冥福を祈った。そしてひとりひとりがNさんを追悼していた。


 正直、しんどかった。少しでも長く長生きして生き延びていこうと誓った。食事会

新年のご挨拶

謹賀新年

 昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。
 昨年は、なんとか生活保護も取得し、経済的にも自活できるようになりました。

 前進友の会では、昨年はいろいろなことがありました。二年越しの電気ショックを糾弾する
『懲りない精神医療 電パチはあかん!!』(千書房)を刊行することができました。これも《なかま》のおかげです。
 しかし、悲しいこともたくさんありました。《なかま》の高齢化に直面し、意識不明の《なかま》も、入院している《なかま》もいます。
 今年も、ますます、高齢化がすすむことでしょう。「病」者の老いは大変です。私自身の無力感も感じています。なんとか日々の生活を大切にして毎日を生きていきたいです。



電気ショック反対!!精神科救急反対!!病棟機能分化反対!!「医療観察法」反対!!



皿澤 剛(さらさわ つよし)
2006年 元旦
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謹賀新年

 1976年に生まれた私たちの患者会・前進友の会は今年で30年になります。その間には、いろいろなことがありました。いま、私たちの患者会では高齢化に直面しています。「病」者の老いは大変です。意識不明で入院している《なかま》がいます。また、病院のなかで老いていかざるを得ない《なかま》がいます。私たち一人一人が重い病状を抱えながら、《なかま》を支え合おうとしています。これからも、できるだけ長く「長生き」をして、お互いを支え合おうと考えています。
 
 また、昨年はようやく電気ショックを糾弾する『懲りない精神医療 電パチはあかん!!』(千書房)を刊行することができました。これも皆様方のご支援のおかげです。今年も電気ショック廃絶のために闘い、「医療観察法」・精神科救急・病棟機能分化に反対していく決意です。
 どうか今年も皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。


 2006年 元旦 前進友の会・やすらぎの里


東京ソーシャルワークに当てた抗議文(新松橋亭同人の木村さんより)

 「東京ソーシャルワーク」という団体が12月10日、よりにもよって「医療観察法」の現役の「社会復帰調整官」を招いて講演する定例会を行います。僕自身許せません。

 「東京ソーシャルワーク」と関係の深い東京・下町の患者会・新松橋亭同人の《なかま》の木村さんが、渾身の想いで抗議文を書いてくださいました。

 木村さん本人の了解のもとに、ここに転載させていただきます。

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抗議文            
  東京ソーシャルワーク殿 
                  新松橋亭同人  木村誠志  
 医療観察法にかんする今回の月例ミーティングの案内いただきました。今でも「信じられない」というきもちでいっぱいです。同時に有ってはならないことが起りつつある現実に立ちすくんでいます。私は精神病者であり、しかも長いこと医療観察法の施行を許さない、と言う立場で運動を続けてきた者であります。私たちの立場からすれば、今回、貴会が社会復帰調整官を呼んで講演をおこなうことは、有ってはならないことにほかならず、大変なショックをうけています。
 私たち医療観察法を許さない精神病者は、これまでずっと、医療観察法のかかげる社会復帰なるものに反対しつづけてきました。それは医療観察法のかかげる「社会復帰」を実行すれば、まちがいなく、当該の病者はとてつもない不利益を受けることが明々白白であるからです。
 医療観察法では、重大な犯罪を犯した精神病者を社会復帰するまで拘束し、出所後も社会復帰調整官の監督の下で社会復帰することが義務付けられています。これはとんでもないことであり、そのことに気づかなかった、貴会の見識をうたがわざるをえません。当該者は半永久的に拘禁され、その上よりによって今回講演する予定の社会復帰調整官の下で社会復帰のため日々いそしむことになるわけです。私たちはこのことそのものに反対であり、そんな社会復帰など、聞いただけでヘドがでるようなしろものです。私たちは声をからしてでもこう叫びたい「反社会復帰の自由を、」と。
 そもそも精神病者が働こうと生保で暮らそうと、それは決定権は本人にのみあるのであり、社会復帰調整官なるものがなんと言おうと、本人の勝手であると、いわざるをえません。
 こうした主張を踏まえて考えれば、今回、貴会が社会復帰調整官を呼んで講演をするのは、その立場を容認することを前提とし、いわばPRの場を与えるに等しい行為、と言わざるを得ません。私は今まで東京ソーシャルワークの月例ミーティングに参加してきたものとして、これはあってはならないことと考えます。ことの筋から言えば中止を要求したいところですが、いかんせん、期日が迫っています。かといって粉砕行動に出ることは、貴会にとってもわたしにとっても、建設的ではないことは分かっています。(物理的には可能ですが)そこで、私の主張をせめて当講演会の際、代読してほしい、と言うのが私のせめてもの自己主張です。
 主張はもういちどまとめれば以下の通りです。1、私たちは病者に社会復帰を強いる医療観察法に反対である。2、私たちは重大な犯罪を犯したと言う理由で(今ではこれも方便であることが事実をもって明らかになっているのであるが、)精神病者を不定期に拘禁するのは許せない3、この法律の最終目標は犯罪を犯した病者の社会復帰であり,それに与する社会復帰調整官は犯罪的役割を担っていること。それゆえ、本来的には今回の講演会の即刻中止を求めるものであり、それが私たち東京ソーシャルワークに集う精神病者の思いであることをもういちどかんがえなおしてほしい、というものであります。
 以上、ここに通告します。


木村 誠志(きむら せいじ)

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「東京ソーシャルワーク」の資料より


第140回 「月例みーてぃんぐ」のお知らせ

医 療 観 察 制 度 っ て 何 ?
―制度の概要と現状、そして展望―
 保護観察所 社会復帰調整官  松坂 さん

今回は、意外に知られていないどころか、ほとんど知られていないに等しい、この法律に基づく医療観察制度のごくごく基礎的な概要と現状を学びます。

この制度の処遇の専門スタッフとして保護観察所に配置された社会復帰調整官は、処遇の実施のほか、地域社会での関係機関相互の連携や調整を担うこととされ、早い段階から長期にわたるかかわりをします。施行されてまだ日は浅いのですが、具体例を交えて現場からの報告をいただきます。
制度の根拠である法律は実に長い名称です。「心身喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」。2003年7月に成立し、2005年7月に施行されました。略称は心身喪失者等医療観察法。


日時  2005. 12.10 (土) 14:00~16:30(13:30開場)

会場  千駄ヶ谷荘 2階 会議室 渋谷区千駄ヶ谷5-34-3

   JR新宿駅南口5分 高島屋前から日通とH.I.S.の間を入る。

         千駄ヶ谷荘は、特別区の運営する更生施設です。

資料代  800円(学生500円)

*お気軽においでください。事前申込み不要です。


連絡先   

丸居 明夫 渋谷区福祉事務所 3463-1211     柴田 純一 中部学院大学

野々村泰道 中野区弥生地域センター 3372-4000 小野 洋和 北区福祉事務所 3908-1150

清水 英宏 目黒区介護保険課 3715-1111 鈴木 泉 牧田総合病院 MSW3762-4671

臼倉 幹枝 東京海上メディカルサービス㈱  5299-3111 

渡辺 久利 浜川荘 3761-4460   長尾 智康 中央区福祉事務所 3546-5382

「精神病」者としてAさんのお話を聴いて考えたこと

 私は、7月5日の夜、Aさんのお話を聴かせていただいた。そのお話は、とても大変な内容で多岐にわたり、すごく重いものだった。
 私は今ここで、そのお話の全体に対する感想を述べることはできない。Aさんのお話のいろいろな内容や、Aさんから見た起こった出来事の事実は、これから長い時間(おそらく一生をかけて)自分のなかで消化し考えていかなければならないことだと想う。だから、いま私が書けることを書いてゆきたいと想う。ただ、ひとつ言えることは、Aさんがお話しした内容のなかには人間と人間が出会い、そこで生じる暴力をいかに乗り越え関係性を人間として取り結んでいくことができるかという普遍的な問いかけがあったということだ。そのことは、これから私が書いてゆくことにも関係することでもある。
 私は難治性のうつ病をかかえて生きている「精神病」者(以下「病」者と書く)である。私は16歳のとき発病した。今年32歳になるが、今に至るまでうつ病をかかえて生活している。発病した当初は自分に何が起こっているのか解らなかった。そして、「病識」など持てず長い間混乱した時期を過ごしてきた。「精神病院」にも入院した。これまで私の身にはいろいろなことが起きた。精神科医の誤診とひどい扱いも体験した。しかし幸運にも、ようやく最近になって「病識」が持てるようになり、自分の「病気」に対する自覚と自分自身の現実に対する「折り合い」がなんとかつけられるようになった。そして、自分が「病」者であるという自覚をもって日々の生活ができるようになった。ここに至るまでには10年以上の長い年月と医者の正しい診断が必要だった。自分でも、よくここまで生き延びてこれたと想う。
 いま私は京都の「病」者の患者会で生活している。その患者会は最近ちまたでよく言われるような「同じ病気を持った者」どうしが悩みを分かち合う「セルフヘルプグループ」などではない。もちろん「ピアカウンセリング」などというものは存在しない。そのような、上から名付けられた概念や行為は私たちの患者会は拒否している。また、「健常」者が主導権を握り運営している患者会でももちろんない。あくまで「病」者自身が自分たちのために場を作り運営している患者会である。そこにあるのは、まず「病」者ひとりひとりの自分自身の誇りである。そして生活である。それを大切にしようとなんとか今まで踏ん張ってきた患者会である。そうやって長い歴史を積み重ねてきた。そして、また私たちの患者会は闘う患者会でもある。
 おそらく、この文章を読んでいる人の大部分は、私たち「病」者が置かれている現実の状況を知らないだろうと思う。私たち「病」者はいつの時代も迫害を受けてきたが、1960年代70年代には大々的に隔離収容政策が行われ「精神病院」が乱立した。そして、その「精神病院」は例外なくどれも「悪徳精神病院」だった。インシュリン・ショック療法や電気ショック療法は日常的にしかも懲罰的に行われたくさんの「病」者が殺されていった。また、ロボトミーなどの「精神外科」も盛んに行われた。その「精神病院」のなかでは暴力が蔓延し、看護士が患者を殴り、たくさんの薬を投与され、「病」者は無気力にさせられていった。そこは、まわりの人間のやっかい者になった「病」者が捨てられる《人間の捨て場所》である。一生閉じこめられ《殺されて》ゆくのだ。まさしくそこはこの日本の地獄である。そして、今現在もその状況は変わっていない。ロボトミーやインシュリン・ショック療法が無くなっただけである。電気ショックは今も盛んに行われている。そして、「精神病院」に入院している患者数は一貫して今に至るまで増え続け33万人もの「病」者が閉じこめられている。それは他科も含めた全入院患者の実に4分の1である。そしてその多くの人が何十年も閉じこめられているのである。
 そのうえ、この7月10日には国会で「医療観察法」が成立した。この法律は傷害以上の罪を犯した「病」者を全国の地裁に付属させる裁判官と精神科医の合議体の特別な「審判所」で手続きをして特別な「施設」に無期限に収容させる法律である。このように今現在も国家ぐるみで私たち「病」者を迫害し続けているのである。
 私たち「病」者は「病気」をかかえて生きている。それだけでも大変なことなのに、私たち「病」者はやっかい者にされ迫害され続けているのだ。「精神病院」に捨てられ殺されていった仲間達、自殺に追い込まれ殺されていった仲間達のことを想うとき、せめて私たち患者会に集う仲間達はこの状況のなかで自分たちが恵まれていることを自覚し、自分たちの生活を大切に守りながらも、この状況に対して抵抗し闘わざるをえないのだ。それで、私たちはせめてもの想いで闘っている。
 そうは言っても、私たちの日々の生活はとても大変だ。一人一人がかかえている「病気」は皆違うし、それぞれの想いも皆違う。そして、この地域で生活していかなければならない。そのなかで一緒に生活してゆくのは本当に大変だ。
 例えば、ある人の言動がある人にとっては容易に暴力になってしまう。それで、私たちが言う「ニクマン」が起こってしまう。そして、まわりの仲間達はそれが本当の「暴力」にならないように気を遣わなければならない。また、そのような状況そのものがある人にとっては暴力になってしまうこともある。そして、患者会で生活できなくなることもある。あくまで「病」者自身が自分たちのために場を作り運営している患者会だとは言っても、きれい事ではすまないことがたくさんある。もちろん、原則は私たち「病」者がひとりひとり自分の誇りを守り自分の生活をこの場でしていくことである。そして《支え合って生きる》ことをめざしている。その実践は確かにある。しかし、長い歴史のなかでは、残念ながら死者もでている。そして、そのことは容易には「総括」できないことだ。私たちはその仲間の分まで長生きすることをめざして生きている。そして、この場を維持するために、またこれ以上の死者を出さないために、ある仲間を排除することさえある。
 このように私たち患者会の実践は、ひとりひとりが常に暴力と隣合わせで生活している。しかし、ここにこそ、人間としての関係性をお互いが認め合うことが成立していると私には想える。いま、ちまたでは「ノーマライゼーション」とか「共に生きる」とか盛んに言われているが、それは、もともとやっかい者である私たち「病」者を見かけ上「やっかい者」ではないように思いこませ、上から作られた「現実」を私たちに押しつけ、本当の意味で生きること、すなわち自分の誇りを守りひとりひとりが常に暴力と隣合わせで生活するというあたりまえのことを許さない/させない仕組みを作ろうとしていることに他ならない。それは、人間としての関係性をお互いが認め合うことを奪うことである。それをいまの医療従事者は「良心的」におこなっているのである。私たちはこのようなことを、「見えにくい悪事」と呼んで糾弾している。私たちはこのような「見えにくい悪事」に乗せられて、本当の患者会の実践、つまりひとりひとりが常に暴力と隣合わせで生活するという実践を失ってはならないと考えている。それが、本当の意味で人間としての関係性をお互いが認め合うことに他ならないからである。そして、本当の意味で生きることであるからである。
 私はここに、Aさんが問いかけたことに対する一つの答えがあると信じている。



     (2003年 9月 記す)


大学院生のY君へ

 お久しぶりです。お元気でしたか?

 前進友の会はなかなか大変で、とりわけ高齢化の問題に直面しています。
《なかま》の一人はいま意識不明の重体でもう4ヶ月も入院しています。
また、《なかま》の一人は病状が悪化して洛南病院に入院しました。この方は糖尿病
もあり、もう一人暮らしは無理な状況です。洛南病院もひどい病院になってしまい、
その方は保護室で四肢拘束を受けてしまいました。
 なんとか、洛南病院から転院させないといけないと想い、また糖尿病も患っている
ので、いろいろ当たってみましたがなかなかうまくいきませんでした。何回も面会
し、糖尿病の診察のために外出させ、大変でした。
 なんとかいまは、京都のましな精神病院に転院させることができました。

 あと、「障害者自立支援法」についてですが、この法律のこと自体が複雑でよく分
かっていません。
ただ、「やすらぎの里」という作業所がこのままでは生き延びていくことができない
ことがはっきりしてきました。それで、行政の指導に従って、いまNPO法人を取ろう
としています。
 これもなかなか大変で、一筋縄ではいきそうもありません。もともとNPOになるこ
とは患者会としては反対なのですが、これも時代の流れで仕方のないことです。

 あと、僕自身のことは、相変わらずです。気分が落ち込み、不安が強くて、身体が
ぐったりしてしんどいです。僕のうつ病は難治性の遷延化したうつ病なので、一生治
ることはないでしょう。
 なんとか、クスリを何種類も飲んで持たせているような状態です。

 それから、生活保護を取得しました。かなり大変でしたが、なんとか取得しまし
た。
これからは、生保と年金で生活していくことになります。

 もとより患者会の生活はタイヘンです。毎日が闘いのようなものです。それでも、
僕は患者会の生活を大切に、目の前にいる人との関係を大事にして生きていきたいと
想っています。


 Y君の近況を教えてくださり、ありがとうございました。いろいろな想いも聴け
て良かったです。
また、時間があったら、前進友の会に遊びに来てください。待っています。

 それから、電話もかけてくれたらいいですよ。時間は夜9時以降ならだいたい自分
の部屋にいるので、どうぞかけてきてください。僕もお話しがしたいですね。


    皿澤 剛

キーサンをなめんなよ!!!

おい、水戸のI田K介。このクソガキャなめんなよ。

 俺はお前のような、いい歳をしたおっさんの甘えん坊で、自分のことしか考えられ
ん、
他人の気持ちや苦しみを考えられない人間が一番嫌いや。

 お前、自分でキーサン名乗っているようやが、だいたいほんまもんのキーサンの
《想い》
《怨念》がお前のようなアマチャンに分かるんか?

 お前、俺がいったい地元の小さな街で親・兄弟・親戚からどれだけ差別を受けて、
その差別と闘い、苦闘したことを知っていると言うんや?いったいどれだけの長い年
月をその苦闘に費やしたと思っているんや?
 俺が親・兄弟・親戚からどんな目を受け、酷い精神医からどんなアツカイを受け、
しまいにゃ
無理矢理移送されてどんな酷い精神病院に放り込まれたか知っているんか?
 保護室・閉鎖病棟・閉鎖病室・オマルでトイレさせられ・飯はお粥で医者・看護者
には絶対服従を強いられ、そこにはどういう患者達が閉じこめられていたか、お前に
想像できるか?
 クスリの強い副作用で尿が出なくなりどれだけ苦しんだかお前に分かるか?

 本当の患者・「病」者・キーサンの世界というのはそういうもんや。そして俺はそ
の《怨念》から
家族に刃物を向けた。

 お前は自分は地域の差別と戦って生きていると偉そうなことを言っているが、一番
大事な
そういうキーサンの本当の現実をいったいどれだけ知っているんや?

 「障害加算でどのくらいになるんですか?」やと!!お前しまいにゃブチコ○ス
ぞ。

 だいたい俺は「キーサンボス」なんかじゃないし、確かに俺は「非寛容」や。
「ある程度の甘えがなければ、どんな患者会もうまくいかないんじゃないの?」やっ
てか?
笑わせるなよ!!お前が患者会のなにを知っているというんや。
患者会の生活はドロドロじゃ!!お前に患者会の本当のキビシサは分からんわ。

 「あなたは、家族と暮らす病者がイヤなんだね。」お前の勝手な思いこみじゃ。
俺自身が家族と長い年月暮らしてきたんじゃ。このボケが。


 お前は今も、自分がどれだけ本当のキーサンを差別して、生活保護を受けている俺
の本当の
《なかま》の気持ちを傷つけたか分からんやろ。
 それがお前という人間の《人間性》や!!少しは反省しろ!!!


 考え直さんようやったら、水戸まで行ってこの俺がこの手でお前を必ずブッコ○ス
!!!



    皿澤 剛(さらさわ つよし)
   

だんだん、しんどくなる

やすらぎの夏休み明けの最初の日。今日はよく晴れて暑い。
 今日はえばっちの車でえばっちとべんちゃんと一緒にMさんの主治医とMさんの面会に洛南病院へ行った。2時から主治医の飯野ドクターと面談した。飯野ドクターはまだ若い(30代か?)が、基本的に話の筋は分かる人で、閉鎖病棟に移したこと・保護室を使用したこと・四肢拘束をしたことなどの理由は一応理解はできるものだった。また、薬についても良く考えてくれているようで、その点は良かった。ただ、面会に職員同伴でないと個人情報の面で認められないというのはどうかと想った。これからは、Mさんの処遇や変化については、逐一べんちゃんに電話してもらうように頼んでおいた。また、これからの見通しについては2週間ぐらいで退院できるかもしれないとのこと。もし退院できれば音羽に飯野ドクターから紹介状を書いてくれることになった。
 その後、Mさんに面会。案外元気そうで安心した。えばっちの話では一回一回状態は良くなっているとのこと。ただ、まだ保護室で寝起きしていた。それに、おしめをしていたが、失禁したようでズボンが濡れていると訴えていた。それでまず、看護婦に頼んで、おしめとズボンを替えてもらって、それから食堂で話をした。べんちゃんがずっと話しかけていたが、ずっとキョロキョロとまわりを気にしている様子で、やっぱりコワイと言っていた。話は前のMさんのような感じだったが、話を聞いていると、かなり荒っぽい扱いを病棟では受けているようだった。食事の時間も短く、薬も急いで飲まされ、腕も強く握られているようだった。拘束自体は11日で止めたらしいが、まだまだ、足はよぼよぼして覚束ない。今日はナンとかそれだけで帰ってきた。
 たまたま、洛南病院で警察から移送されて簡易鑑定を受けさせられている人を見た。手錠をして腰縄をされている女の方だった。正直、こういうことばかりやっていると 病院の雰囲気も変わってきてしまうと感じた。もう洛南病院は信頼できないし、荒っぽいし、入院することはできないと感じた。
 それから、たまたま京大で電気ショックをやっていた笹本のクソバカタレにもあった。凄く若くて驚いた。
 帰ってきたら4時半になっていた。それからミーティングをした。今日は9月から働きにきてくれるU君もきていた。夏レクの人数が20人に満たない数になりそうだ。U君はきてくれるとのこと、ありがたい。それからMさんのこれからについて、糖尿病も含めて患者会が支えられるのかということを話し合った。とりあえず、いまは退院して一人暮らしできるようになんとかその方向でやっていこうということになった。それから、弘さんから電話があって、Nさんの病室が5階に変わったとのこと。もしかしたら安定してきているのかもしれない。
 ミーティングが終わって帰るころに、藤枝の彰君から電話があった。Kさんが亡くなったということだった。『電パチ』にはES体験記を書いてくれた。非常にショックだ。僕は会ったことはなかったが、簡単に人が死んでいく。非常に残念だ。だんだん苦しくなっていく。それを実感させられた一日だった。  
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